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2014年2月6日木曜日

心の空白をネットで埋めている同志たちにこそ見て欲しいブログ

 人はみんな寂しがりやです。
 だからこそネットの世界での繋がりを求めて、ブログを作ったり、呟いたりするのでしょう。

 それが良いことか悪いことか、という話は、今回はしません。もしかするとその内することもあるかも知れませんが、今のところその予定はありません。

 今日の話の主題は詰まるところ、「私は寂しい」という、極めて閉鎖的で後ろ向きなものになるのだと思います。



 以前、人が読んでくれるブログの書き方、という記事を書きました(以前と言ってもわずか3日前のことですが)。
 そして今日もブログに関する記事を書いている訳ですが、この理由はひとえに、私が最近ブログに力を入れ出したから、というのに他なりません。

 誰しも一番書きやすい文章は、自分が好きなことや、がんばっていることなのでしょう。小説に小説家がよく出てきたり、漫画に漫画家がよく出てくるのも、これが理由ですね。

 ……いえ。こんなこと、別に発見でもなんでもなくて皆さんとっくにわかっているんだろうとは思いますけれども。



 しかし、「ブログ」を創作物であると捉えるならば、やはりそこにはオリジナリティが求められる訳で。
 誰も書いていないものを書くというのは、上手くいけば大ヒットですが、下手をすると誰も見ません。まさしく、ギャンブルです。

 逆に安定性を求めるならば、最近のアニメのレビューをするとか、ニュースについて語るとか、そのほうがよっぽど良いような気がします。私自身も、どちらかというとそちらの方が向いているのかも知れません。

 ところで今書いているこの記事は、勿論オリジナリティもトレンドも追求していません。そうかと言って、誰かに有益な情報を与えようという意図もありません。
 書きたいから書いている。ただそれだけの記事です。記事というのもおこがましいですね。何と言いましょうか。本来なら呟きという言葉がしっくり来るのですが、ネットの中で呟きと書くと別の意味が真っ先に思い当たります。駄文、というと卑下しているようで嫌です。やはり記事としか言えないのでしょうか。自分の語彙の少なさにうんざりします。



 話が少し脇道へ逸れましたが、今私は書きたいから書いています。それ以外の理由も2割ほどありますが、残りの8割は書きたいから書いている、というので間違いありません。

 私はいつも、誰かに自分を見て欲しいと思って生きています。いえ、露出狂ではありませんよ? 言い方を変えれば、認めて欲しいということです。
 これは決して、私だけではないと思います。だからこそネットの世界での繋がりを求めて、ブログを作ったり、呟いたりするのでしょう(コピペ)。

 ここで私は疑問を感じます。皆さん、そうして関係を求めた結果、望み通りの関係を築けているのでしょうか?

 私は小学生の頃から対人スキルに難があり、今なおパソコン越しであっても友達を作ることができないでいるという、冴えない系ラノベ主人公を地で行く人間でありますが、それはあるいは私だけではないのではないかと思うのです。

 私のように寂しいと感じる人間はこの世界にたくさんいて、だからそれで私が安心できるかと言うとそんなことはまったくなく、逆にたくさんいるからこそ、私という人間も、このブログも、たくさんの中に埋もれて誰にも見られずに終わります。だから、私は余計に寂しくなります。



 これをこの場で訴えてどうするのかと問われれば、答えは「どうもしない」です。
 最初に書いたように、今日の主題はここであり、ここに詰まるのです。

 ただ、前向きに最後を締めくくるのであれば、明日以降の記事に乞うご期待! という感じですかね(宣伝)。

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