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2013年10月20日日曜日

小学生の頃、眠れない夜に兄妹でやった楽しい遊び

 具体的にいつ頃だったかは覚えていませんが、小学生ぐらいの頃、寝る前に妹たちと『どうしますかゲーム』なるものをしていたのを覚えています。

~『どうしますかゲーム』の遊び方~

人数 2~4人

必要な道具 なし

遊ぶのに適した環境 喋ることしかできない場所・時

対象年齢 5~10歳(語り役のみ10歳以上推奨)

 まず、誰か一人が語り役を担当します。これはもちろん、言いだしっぺが担当します。
 次に、語り役以外の人(以後はプレイヤーと呼びます)のキャラ設定を考えます。相談しながら決めるのですが、語り役がある程度注文を出したほうがすんなりと決まります。(例:なりたい動物 など)

 そこでようやくゲームスタートです。語り役が、即興でプレイヤーの最初の状況を語ります。簡単なほうがいいです。(例:あなたは家にいます など)
 語り終えたら、プレイヤーに「どうしますか?」と尋ねます。プレイヤーが答えます。語り役は即興で、それによってどのようなことが起こったのかを考え、語ります。そして再度、「どうしますか?」と尋ね、プレイヤーがそれに答えます。

 以降は、これの繰り返しです。ちなみに人数が3人以上の場合は、話をローテーションで回していきます。話の中にプレイヤーどうしの絡みを持たせると、とても面白くなります。(例:BさんはそこでばったりAさんに出会いました。Aさん、どうしますか? など)

 たまに予想外の展開を織り交ぜるとか、プレイヤー全員を平等に扱うとか、語り役が注意するべきポイントはいろいろありますが、気心の知れた人どうしならそれほど気にしなくても良いでしょう。たとえ話に筋が通っていなかったとしても、場の空気にさえあっていれば許されます。

 さて、ゲームの説明はここまでです。要約すると、RPGですね。
 このゲームを兄妹でする時、もちろん私はいつも語り役でした。私自身、このゲームは誰かに教えてもらったのか、それとも自分で考えたのか、今となっては思い出せません。

 思い出せるのは、夜、布団で妹たちと並んで寝ている時にこのゲームをしていた記憶です。楽しすぎて眠れずに、あとで母親に叱られたことを覚えています。たしか、1時間か2時間くらいはやっていたような気がします。

 今思うと、小学生が自発的にするにしてはなかなか高度なゲームです。語り役にしてもプレイヤーにしても、ある程度の想像力がないと楽しめません。おままごとと違って目の前に物がありませんから。

 そう考えると、我が家は情操教育がきちんとできていたのでしょう。家に絵本がたくさんありましたし、私はそれを読むのも割と好きでした。本当に、親に感謝です。

 大人になった今、もう一度あのゲームをしてみたいなあと思うのですが、変なプライドや論理感が備わったせいで、楽しめなくなっているのではないかと思います。

 しかしそれでも、将来自分の子供ができたら、一度はやってみたいと思います。その為には自分の親を見習って、想像力豊かな子供を育てないといけませんね。

 え? その前に結婚?

 ………………ほっといてください。

2013年10月15日火曜日

「ホームページなんかいらない!」ライターがホームページの宣伝効果を考察

 名前の売れていない人がライターとして働く上で、仕事探しは欠かせません。
 しかし仕事を探すことは、もちろんライター本来の仕事ではありません。
 物語を書くことに一生を捧げたいと思っている私のような人間からすれば、この仕事探しという手順は、どうしても気が滅入るものです。

 できれば仕事のほうからやってきて欲しいと、常々思っています。名前の売れていないライターにも仕事が来る方法はないかと考えてみて、真っ先に思い浮かんだのは、ホームページを作成することでした。
 ホームページで名前を売る、と言い換えてもいいです。

 しかしながら気が滅入っているせいか、嫌な想像しか浮かびません。時間をかけて作ったホームページがアクセス数ゼロとか……。想像しただけでもぞっとします。

 ホームページの作り方に関してはそれほど不安は抱いていません。ググればポンポン出てきますし、言ってみればMicrosoft Accessのフォームだけ作るようなものなんでしょう?

 問題は、宣伝効果なんです。
 どうすれば見てもらえるのか、何を餌にすればいいのか……。そもそも無名のライターのホームページなんて、見たがる人がいるのでしょうか? ブログで十分じゃないのでしょうか?

 ――そう、そうです! ブログで十分なんですよ!
 ブログすらちゃんと更新できていない人間が、ホームページなんかに手を出すのは間違いなんです!(多分……)

 石の上にも三年と言いますが、手詰まりになったら何でもいいから新しいことをしようと思うのは、良くないことですね。まずは手詰まりになったと感じる原因から突き止めないと。

 それにしても、こうやって文章にするのって良いことですね。誰かに聞いてもらっているわけでもないのに、自然と考えがまとまっていきます。

 ではまずは、原因の追及といきましょうか。ええそうです。まだグダグダ続けますよこの記事は。タイトルに釣られた人は、ここで読むのをやめましょう。

 えーっと。私は今、気が滅入っています。その原因は、仕事探しが嫌だからです。
 
 ……ここが既に間違っている気がします。なぜなら以前は、楽しく仕事探しができていたからです。

 私の気が滅入っている本当の理由は、「どうせ仕事を探しても上手くいかない」と思っているから、だと思います。度重なる失敗と挫折に、疲れているのです。

 だったら、失敗しない仕事探しをすればいいのではないでしょうか。無難で地道な仕事に手を出していれば……。

 いえ、それはそれでつまらないような気がします。一生この職業でやっていこうと思うなら、向上心はなくてはいけません。

 待て待て。向上心と失敗しない仕事探しは、相反するものなのか? そもそも失敗した原因はなんなのか?

 これまで、ライターとして応募して不採用になった案件は多数あります。しかし、それらが総じて私の心に苦痛を与えていたのかと言うと、そうでもありません。
 そこから考えると、私の気が滅入っている原因となっているのは、失敗よりもむしろ徒労なのかも知れません。

 いえ、こんなことは考えるまでもなくわかっていたのですが、こうして遠回りをすることで自分を納得させたかったのです。じゃあ書くなよ。めんどくさい人間ですね、私は。

 えー、つまり、ライターとして精神的に長続きするためのコツは、無駄な苦労をしないこと、という結論に至ります。

 こう考えると、気に病むべきは採用されるか否かよりも、採用されたあとのことですね。
 採用されたあとというのは、どうしても舞い上がってしまって、どんな仕事でもやってやる! という気分になります。

 その仕事は、本当に自分にできる仕事なのか。その仕事が自分に与えてくれるメリットとは何なのか。採用されたあとは、その辺りのことを今一度確認して、相手の方としっかり話をしてから仕事に取り掛かったほうがいいと思いました。

 ……ふむ。

 書き始めは、この記事まとまらないんじゃないかと思って書き始めましたが、案外綺麗にまとまりました。
 行き当たりばったりというのもいいものですね。

2013年10月11日金曜日

ありったけの思いをブログにぶつけてみました。

 本当は、こんな風にブログの更新なんてしている場合ではないのです。
 シナリオライターの仕事が大幅に遅れている今、一文字でも多く書かなくてはいけないのです。

 ですが、疲れました。

 救いが欲しくなりました。

 サークル仲間のブログを見て、書いたら助かるような気がしました。

 文が支離滅裂ですね。
 許してください。
 今は心の中身をそのままぶちまけたいんです。

 今までのブログは、ただの日記でしかありませんでした。だって、読んでくれる人のことが想像できませんでしたから。

 今は違います。サークル仲間がいて、リアルにも私のペンネームを知っている人がいて、そういう人たちが、何かの拍子にこの記事を読んでくれるかも知れません。

 直接言えないようなこと。
 言わないほうが良いこと。
 そういうことを伝えるのに、ブログはうってつけだと思います。

 本題に入る前に、予防線を張っておきます。
 私のこの記事が、私の周りの人に悪影響を及ぼさない為の予防線です。

 生来、私は悩みすぎる性分なんです。
 口に出せずにウジウジ悩んでしまう人間なんです。
 だからこんなところに書かなくてはいけないんです。

 私の周りの人とかが、悪い訳じゃ……いや、もしかしたら悪いのかも知れませんが……いやいやいや、これじゃ予防線になってない。

 えーっと、その……、わかる人にはわかってもらえると思うのですが、いくら相手のことを大切に思っていても、言えないことってあるでしょう? 信じられないことってあるでしょう?

 信じられない自分がすごく嫌で、相手にそれを見せたくない。だけどそうすると、自分が嘘をついてるみたいで、すごく後ろめたくて。

 だから、その罪悪感を少しでも消す為に、ブログに書くのです。ここでなら、言えますから。

 私はみんながいい人だったらいいなと思っています。仲良くなれたらいいなと思っています。

 ですけど、どんなにがんばって想像してもいい人に思えない人がいます。その人、仕事先の上司なんですけど。

 しかしこの場合なら、悪いのは想像力が弱い自分だって結論が出せるのですが、困るのは、人伝に人の悪評を聞いた時です。

 悪評を言っていた人がいい人なら、言われた人が悪い人になってしまう……。いえ、これも私の想像力がないのが悪いんですけど……。

 いや、違うか。

 悪いのは、ウジウジしてる自分か。

 相手が隠し事をしてるなら自分も隠し事しないといけない、みたいな思い込みをしてるんだ、僕は。

 なんで自分まで落ちないといけないんだ? あ、いや、落ちるって相手を下に見てる表現だから、好きじゃないけど。

 なんにしても、悩んでるくらいなら言ってしまうべきだ。それで仕事が一つ潰れたとして、それがなんだって言うんだ。

 別に仕事じゃなくなっても、趣味でできる。
 もともと僕は、好きで物書きになったんだから。お金とか将来とか、そんなことを気にして不自由に物語を作るぐらいなら、作らないほうがいい。

 人前では優柔不断なところは見せたくないから、きっぱりと決断した。
 だけど決断したあとも、ズルズル引きずって中途半端なことをしてる。
 これじゃ駄目だと思う。



 いつの間にか、私の中では作家になりたいという夢が大きくなりすぎていたようです。

 欲があるから、不満が溜まる。
 欲を切り捨てて、澄み切った心になったら、きっともっと楽しく物語を書くことができます。

 褒めてほしいとか、必要とされたいとか、そういうことを思うから、自分が必要とされなくなった時に悲しくなる。

 求める心じゃなくて、与える心。
 自分の為に書くんじゃない。人の為に書く。
 初心忘れるべからず。

 うん、こんな感じで行こう。

 駄文、失礼いたしました。